「飛行機はもうすぐ出るかね?」Fさんからの問いかけ。
「あと30分は余裕がありますよ。」
「まぁちょっとゆっくりしとってええね。」
「準備はしてありますから、安心してお寛ぎください。もうすぐおやつですから、お腹を満たしてからいきましょうか。」
「そうだね。あぁよかった〜。わたしゃ寝てばっかで何もしとらんで。明日末娘の結婚式があるだよ。」
「それはうれしいことですね。楽しみですね。わたしもうれしいです。」
「奥さんも一緒に行こう。わたしゃあんたみたいな優しい人に出会えてしあわせだよ。」
「わたしもしあわせです。」
ある日の午後、入院中のFさん(95歳)とわたしの会話。
Fさんは認知機能が低下しており、目を開くことも言葉を発することも少ない方である。
1日の大半を眠って過ごしている。
そんなFさんから、唐突に飛行機の出発時間を尋ねられた。
目はぱっちりと開き、表情は穏やかだ。
わたしはFさんに見えている世界、場面に入り込む。ここは空港だ。手を握り、顔を近づけ、迷わず返した。
するとFさんもぎゅっと握り返してくれる。
いやここは病院だ、末娘さんておいくつ、、、とかそんなことはこの場ではどうでもいい。
相手に合わせること、共感することが大切だ。
どんな世界が見えているのかははっきりと分からない。
しかし、Fさんの感情が動くのが分かり、表情や発言として返ってくる。あぁ、愛おしい。
この、成り立っているようで成り立っていない、ふんわりとした会話。
それでも言葉選び、表情、タッチングで心を通わせる。こんなひと時がたまらなく幸せだ。
こんな場面が1日のうち何度もある。それは”仕事”ではなく、わたしの癒しの時間。
わたしは看護がすきだ。
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